みなさま、こんにちは。おくむら(@nori_broccoli)です。
エドワードTホールによれば、日本語は非常にハイコンテクストな文化であり、ドイツ語や英語はローコンテクストな言語である、ということだが、私が雑談を苦手とするのがそういった文化的背景によるものかと考え始めています。ハイコンテクストな文化とは、生活している人々の「共通認識」が多く形成されており、全てを言語化しなくても暗黙の了解で通じ合えるような文化です。一方のローコンテクストな文化というのは、あらゆることを全て言語化して説明しないと伝わらないような文化ということになります。
日本人同士で雑談をしていると、明確に対象物のことを話していないにもかかわらず、お互いに話が分かっている、みたいな状況に何度も遭遇すると思います。言葉に出さなくても話の流れやこれまでの関係性などから「あの話だ」と簡単に類推できて会話が噛み合うような状態ですね。祖父母の世代ぐらいのレベルになってくると、こそあど言葉だけで通じ合えてしまう、そんな世界観すら存在しています。
ただ、実際にそれって本当に「通じて」いるのでしょうか。
なんか明確に口には出さないけど、お互いに通じた気持ちになっている、でも蓋を開けてみれば全く違うことを考えていた、などということはザラにあると思います。政治家はお得意ですよね、言った言わないの水掛け論的なやり取りが。暗にそういうことだと察したからそうしたまでだ、みたいな話から、私はそんなこと一言も言っていないぞ、と責任のなすりつけ合いが始まります。もちろん、言っていないのだから勝手に汲み取った方が悪いのでしょうが。
そういうハイコンテクストなやり取りがとても苦手で、話をしていると、「ちょっと待って、それって何の話?」とか、「それって何を対象にどうする話?」といった風に、いちいち聞き返してしまいます。私は、話し手が伝えたいことは話し手がきちんと伝えるべきだと思っているので、あやふやなことを言われると気持ち悪くなってついつい聞いてしまうのですね。
そうすると、「なんで分かってくれないんだ」と話し相手の方が気分を害してしまって、そこで雑談が終わってしまうようなことがよくあります。逆ギレしないでくれよ……と思うぐらいなのですが、そこは「察する力のない私の方に問題がある」というような流れになってしまいます。
本当にそうでしょうか?
「これだけ言えば伝わっただろう」というのは思い込みで、明確にきちんと話したことでなければ、それは相手には「伝わっていない」と思っておいた方が安全だと思いますし、不明瞭なことを言って相手に聞き返された、理解できないと言われたのなら、きちんと説明した方が良いと思うのですが、そうは思わない人が多いのでしょうか。話を明確にすることを嫌う人が多いのも知っていますし、たいていの場合あやふやで良いのが日本の良いところかもしれませんが、「空気を読め」的なものは読むことはできても100%確定させることはできないので好きではありません。
話の聞き方がマジメすぎる、と言われることもあります。適当に話してるんだから適当に聞いておけ、と。会話に意図はないんだと。そう言われてしまうと、「何を聞いたら良いかが分からなくなって」迷子になってしまいます。かといって、全く聞いていないようなそぶりもできないし、聞いているフリをして生返事をすることもできません。コンテクストの問題か性格の問題かも正直よく分かりません。
きっと私は聞き上手じゃないのだと思います。適当に話していることときちんと伝えようとして話していることの区別が付かないから、全部真面目に聞こうとして疲弊しているんだと思います。だからこそ、いつも雑談が苦手に思えるのだと思います。ふわっとした感じの話が苦手なんでしょうね。
適当に話して適当に相づち打ってくれたら良いというのがとんでもなくレベルの高い要求なので、いつも疲れています。雑談で疲弊するなんて無駄だと思うかもしれませんが、対象が不明瞭な話ほど聞いていて気持ちの悪いものはないので、明確に話して欲しいんですよね……。
ほどほどに話を聞いてほどほどに受け流して、ほどほどに同調できるような、そんな技術があれば教えてほしいものです。きっとそれも閾値問題に発展して、このレベルなら適当が良いけどこのレベルならマジメに返すべきみたいな線引きをしようとして失敗する未来しか見えませんが……。
お察し文化は本当に苦手です。