答えをすぐに知りたがる若者?の声らしきものを読んでみたものの・・・

みなさま、こんにちは。おくむら(@nori_broccoli)です。

最近の若者はすぐに答えを知りたがる、というような話が至る所で聞こえてきますが、それに異を唱えるブログに出会いました。一通り読んでみると、まぁ確かに教える側にいるとそういう状況はよく分かる、という内容ではあるものの、これを世代の違いとして語られると全然違うなぁと思ったり、いろいろ考えさせられますね。

記事の中では、攻略法がすぐに共有されて、そこに至る過程は努力する意味がなく、その先のやりこみで努力すれば良い、という趣旨で内容が展開されますが、その攻略法を作る人たち(ごく一部かもしれなくても)は必ず存在するわけで、そういう人たちもやっぱり若者なんですよね。多分、私たちの世代でも、攻略本はないにしてもファミ通やらファミマガやら、それに類するものはあったわけで、リアルタイムで更新されなくても、週刊誌・月刊誌を見れば攻略法は共有されています。そういうのを待って取り組む人も居れば、待てないから自分で試行錯誤する、というだけの話です。

情報の流通速度が飛躍的に伸びているから、結果的に答えがすぐに手に入る環境に居るだけであって、そこに至る過程が無駄だとかそういう話とはまた筋の違うことなんだと思います。情報をシャットアウトしていても、見たくないのに攻略法が伝わってきてしまうぐらいの世界に居たら、そこを考えようとする気にならないだけであって、共有して欲しくない人もたくさん居ます。

世代でどうのこうのという話になるとお互いに歩み寄る姿勢がないのでどうしようもないですが、いつの時代でも、短絡的に回答を求める人は居るし、自力で頑張れる人も居る。それぞれに得手不得手があって、最終的に適材適所で仕事をしていく、それだけのことだと思うんですよ。

学生の指導方針として、模範解答を先に出す場合もあれば、そこに至るプロセスを学ぶことに意味があれば試行錯誤させてから解答を示すこともあり、何が重要で何が重要でないかは対象によりけりです。15分考えて分からなければ自力では分からないものと捉えているので、考えさせるとしてもせいぜいそのぐらいの時間で、模範解答を示しながら考えるプロセスの必要性を説きます。

例え話がゲームだから余計にややこしいのですが、やりこみ要素があるとかないとか、結局作られた枠の中でしかないわけで、突き詰めれば人の作った物の中で遊んでいるに過ぎないですし、それ以上のことはゲームではできないわけですね。そのゲームを作る側に回るのか、やりこんだ先をさらに組み立てられる人間になるのか、という話ならば面白みもあるのでしょうが、やりこみ自体も攻略法があったりどれだけ無駄に時間を溶かすかというだけの話で終わってしまいます。

意地悪をしたくて解答を教えないというのは論外です。一方で、「まずはやってみよう」という話も、教える側がめんどくさくなっていて、できることまで教える必要はないから、詰まったらその都度教えればいいと思っているだけだったりします。試されているのか、放置されているのか、確認されているのか、それが分かると多少はやってくれるのかもしれませんね。そこは教える側も趣旨をきちんと伝えるべきところです。

この記事で紹介されている試行錯誤というのは、与えられたツールをどう組み合わせて使うかという試行錯誤であって、そのツール自体をどう生み出していくかという話ではなさそうです。もちろん、応用力という面ではツールを組み合わせる力は重要ですし、昨今のAI界隈でも、フレームワークをどう使うかが重要で、フレームワーク自体は誰かが提供してくれるもののように思われています。世の中の9割の人はそれで問題ないはずですが、1割の人が頑張って試行錯誤してくれているから、その上で試行錯誤ができています。

解答に至る(正解に至る)プロセスそのものが重要であるということもまた世の中にはたくさんありますし、そのプロセスは今のところ置いておいてその先を考えてみようという場合ももちろんたくさんあります。答えをすぐに知りたがる、と思うのなら、どうして答えを聞くのか、答えを聞いた後に何をしようとしているのかを相談すれば良いでしょうし、プロセスを教えたいのならその趣旨を明確にすべきでしょう。

考え方が違うのは世代が違うからだ、というような話になるのはすごくもったいない話ですので、知識と経験がある年配者が考えることにも耳を傾けるべきでしょうし、無駄なく学習したいと考えている若者の思考も理解すべきでしょう。もっとも、無駄なく学習したいというのはちょっと無理があって、学習プロセスにおいて色々試してみるからこそ、辿り着いた正解に価値が出るということは理解して置いた方が良いと思います。あれもそれもこれも正解につながるけどどれが良いかは状況に寄りけり、みたいなものが最たるものです。(と言うとまたオジサン認定なんでしょうけども)

結局は教える側と教わる側のミスコミュニケーションが大きな問題で根源だと思いますので、しっかりコミュニケーションを取りながら進めるしかなさそうです。

上部へスクロール